サナの許嫁が「■■■城へ行く」と言って街を出たのは、もう3ヶ月も前のことになる。サナの許嫁は、商人だった。■■■城は町からも見える。大変立派な城で、町から少し離れたところにある。そこの女主人に呼ばれ、サナの許嫁は大量の商品と、数人の召し使いを連れて行った。そして、行ったきり、帰ってこなかった。一緒に行ったはずの召し使いたちも帰ってきていない。
婚約自体、親と許嫁が勝手に決めたものだったし、サナ本人も彼のことを愛してはいなかった。ウルシマ伯爵家には金が必要で、許嫁は爵位を欲しがっていた。利害が一致していたのである。それなのに許嫁が姿を消してしまい、ウルシマ伯爵家の誰もが焦った。金のあてを失ったのだから。
そもそも、■■■城の女主人は人ではないのだという噂があった。■■■城へ行った者のほとんどが帰ってこないと言われている。帰ってきたとしても、目は虚ろで、物言わぬ抜け殻のようになって戻ってくると。百年以上姿が変わっていないとも言われている。
そういった恐ろしい噂があったこともあり、サナが生まれてからこの方、街の者が■■■城を訪れることはなかった。許嫁はというと、「みんな僻んでいるのさ。それで、あんな風に言うのだろう」と噂を全く信じていない様子だった。
噂の真偽はともかく、重要なのは許嫁が帰ってこないという事実だ。このままではウルシマ伯爵家の大きいだけのボロ屋敷は抵当にかけられ、一家はバラバラになり、サナは身体を売って生計を立てることになるだろう。
サナはついに居ても立ってもいられなくなり、■■■城へ向かった。近くで見た城は、思っていたよりもずっと大きかった。門は開かれており、門番は不在のようだ。勝手に入ってもいいものか悩んだが、ここには許嫁を探しに来たのだ。入らなくてははじまらない。
城の前まで来ると、大きな扉がひとりでに開いた。あたりを見渡すが、人影はない。気味が悪かったが、サナは■■■城内へ足を踏み入れた。
「あの、誰かいらっしゃいませんか」
広い玄関ホールの中央に立ち、声をかけてみる。
「どなたかしら」
少し上の方から女性の声が聞こえてきた。見ると、正面の階段に美しい女が立っていた。カールした金色の髪は光り輝き、胸元が大きく開かれた真紅のドレスに身を包んでいる。彼女がこの城の女主人だろう。
「勝手に入ってしまってすみません。あの、数ヶ月前、こちらに商人は来ませんでしたか。召し使いを何人か連れた男です」
女主人は思い出そうとしているのか、天井の方を見ながら少し悩んでいる様子を見せたあと、「ああ……彼ね」と微笑んだ。
「ええ、来たわ。そう、このドレスも彼から買ったのよ。良いものをたくさん持ってきてくれたから、食事くらいごちそうしたかったのだけど。何か急ぎの用事があるからって、すぐ帰ってしまったのよ。……でも、どうして彼のことを聞くの?」
彼女にじっと見つめられると、気分が落ち着かなくなってくる。だが、何故だか彼女から目が離せない。
「彼は、私の許嫁なんです。ずっと帰ってこないから、心配で……」
本当に心配だ。あくまで金のことが、だが。サナはさらに「彼は最後に、この城に来たはずなんです」と続けた。
女主人はため息を吐いた。
「ねえ、さっきも言ったけど、彼はすぐ帰ったって言ったわよね! もしかして、私を疑っているの? でも、よくあることでしょう。男が消えるなんて。大抵は、他に好い人ができて……ごめんなさい。ただ……私……取り乱したわ」
「そんな……謝らないでください。私こそ、疑ったりして……でも、他に手がかりも……」
言葉の途中で、サナの身体が大きく揺れた。倒れまいと、階段の手摺りにしがみつく。動かしてもいないのに頭がぐわんぐわんと揺れているようで、世界が回る。吐いてしまいそうなほど気持ちが悪い。
女主人は焦った様子でサナに駆け寄り、「大丈夫?」と身体を支えてくれた。女主人からは濃い花のような香りがした。
「酷い顔色よ。少し休んだほうが良いわ」
そう言って、女主人はサナを抱きかかえると、近くの部屋へ連れて行ってくれた。あの細身の女性が、こうも軽々と自分を抱えあげられるとは。
女主人はサナをベッドに寝かせると、羽布団をかけてくれた。ここはゲストルームだろうか。高級な家具が置かれた、清潔な空間。ほとんど使われていないようで、生活感がない。だが、ウルシマ伯爵邸にあるサナの自室よりもずっと広い。
「待っててね、医者を呼ぶから」
そう言って、女主人は微笑んだ。
――結構です。お医者様に払うお金がありません。少し休めば、きっと良くなりますから。
そう言いたかったが、全身が怠く、口すら開けない。ずっしりと重い瞼がだんだんと閉じていく。女主人が部屋を出る気配を感じたが、サナはもう、目を開くことすらできなかった。
◆ ◆ ◆
目覚めたとき、部屋には誰もいなかった。サナはゆっくりとベッドから起き上がった。妙なだるさや気持ち悪さはもうなくなっている。だが、窓の外はすでに暗く、月明かりが部屋中を照らしていた。一体どれだけ眠っていたのだろうか。
扉が軋みながら、ゆっくりと開かれた。入ってきたのは、女主人だ。
「具合はどう? 実は、医者を呼べなかったの。だってほら、外は酷い嵐だから」
女主人が窓の方を指差す。外は酷い嵐だった。時折外がぱっと光ったかと思うと、少し遅れて雷の音が響く。強い風に木々は大きく揺らされ、大粒の雨が降り注いでいる。
おかしい。先程まで、月明かりが見えていたのに。女主人が外は嵐だと言った瞬間に、天気が荒れたような気がする。だが、そんなことが本当にあり得るのだろうか。
「……大丈夫です。もう、元気になりましたから。休ませてくださって、ありがとうございました。あの、私……もう行きますね。お邪魔しました」
「何を言うの。無理よ。この天気なのよ?」
外は相変わらず荒れている。こんな天気の中、外へ出るのは自殺行為だろう。だが、ここにこれ以上、居てはいけない。頭が、身体が、本能が。サナのすべてがそう警告している。
「でも、帰ります」
サナはそう言ってベッドから立ち上がると、そのまま部屋を出ようとしたが、女主人が立ちふさがった。
「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったわね」
「……サナです。サナ・ウルシマ……」
女主人はサナの名を口にすると、舌なめずりをした。
「私はジュリア。初めてだわ。私から逃げようとする人間は。みんな、ここに居たがるのに」
「ジュリア様……そこをどいてください。帰りたいんです」
「嫌よ。わかっていたはずよ。この城からは誰も帰れない」
ジュリアはそう言って微笑んだ。彼女はサナを素早く捕まえると、そのまま唇を奪う。
「ッ!」
突然のことに、サナは驚き、目を大きく見開いた。ジュリアは首筋や鎖骨にキスを落としながら、徐々に服へ手を伸ばし始める。
「あら、可愛い。真っ赤ね。もしかして、したことがないの?」
サナは彼女から視線をそらすと、弱々しく「放して……どうか帰らせてください」と頼んだ。
「だめよ」
ジュリアはそう言って、再びサナに口づけをした。優しく、甘いものだった。
「ここにずっと居ればいいじゃない」
今すぐ、ここから逃げ出せ。さもないと、手遅れになる。頭の中で誰かの声が響く。それは、婚約者の声に似ていた気もするが……ジュリアに何度もキスをされるうちに、聞こえなくなってしまった。
ジュリアの言う通りだ。彼女が許してくれるのなら、ここに居たい。永遠に。
「ここに……居させてください」
サナはとろんとした目でジュリアを見つめた。「ええ、いつまでも居てね」とジュリアは満足げに微笑むと、サナの服を脱がしはじめた。二人でお互いの体にキスをしながら、ベッドに倒れ込む。
ジュリアはサナに覆いかぶさると、優しく身体に触れてきた。口付けをしながら、サナの首筋や太ももを撫でる。身体がだんだんと熱くなってきた。サナは初めて味わう快感に戸惑いつつも、ジュリアにも自分と同じように感じてほしいと思うようになった。サナは恐る恐るジュリアの胸に触れた。
「あら……してくれるの?」
ジュリアは驚いた様だった。彼女の肌は白く滑らかで、手に吸い付くようだ。ジュリアは時折、甘い声を出した。幸せそうな微笑みを浮かべながら、口づけてくる。
「もっと気持ちよくしてあげる」
ジュリアはそう言うと、サナの下着に手をかけて、ゆっくりと脱がした。露出したサナの秘部に、ジュリアは躊躇なく舌を這わせる。
「ああっ、ジュリア様……はぁ、っあ、そん、な……ところ……ああッ!」
舌が敏感な部分に触れるたび、強い快感が生じた。
ジュリアの細くて長い指がサナの蜜壺に挿し込まれた。愛液で満たされたそこを指がかき回す。
「ああっ、あっ……あああッ……ん、あんっ……あああああッ!」
サナの身体がビクンと跳ね、絶頂を迎えた。
◆ ◆ ◆
しばらく二人はベッドの中で抱き合ったまま過ごした。外では、まだ雷鳴が響いている。
「私、あなたのことが気に入っちゃったわ。本当は他の奴らと同じように、食べてしまうつもりだったんだけど……気が変わったわ。一生、ここに居てちょうだい」
ジュリアはそう言って、甘く優しいキスをした。ジュリアと触れ合い、彼女が人間ではなさそうだということは、薄々気がついていた。どこが人間と違うのか、具体的なことは言えない。ただ、直感的に、ジュリアが人間以外の何やら恐ろしい存在であるということがわかった。だからこそ、逃げ出したかった。
達したせいか、頭がすっきりしている。そのおかげで、やはりここにいるべきではないと思えるようになった。だが、ジュリアを突き飛ばすような真似もできない。人ならざるものに力で敵うとは思えないし、何より――彼女を愛おしく感じていた。
「ごめんなさい。ですが私は、帰らないといけませんから」
帰りたい、とは言わなかった。事実、それを望んでいたわけではない。ただ、屋敷に残してきた両親や、幼い兄弟たちのことが気になった。彼らも、サナが帰ってこないことを心配しているだろう。いつか、家族の誰かが■■■城を訪ねてくるかもしれない。そのとき、サナが頼んだら、ジュリアは家族を見逃してくれるだろうか。
「……でも、嵐が止んでからでいいでしょう。ね? いま出ていくのは危険よ」
「そうですね、嵐が止むまではここに居させてください」
二人は唇を重ねた。外では嵐が吹き荒れている。この嵐が止むことなど、あり得るのだろうか。ジュリアの首に顔を埋め、彼女の香りで肺を満たした。今だって恐ろしいし、心配なことがたくさんある。けれど、今だけは何も考えずに、彼女とこうしてくつろいでいたい。サナはゆっくりと目を閉じた。
「少し、休みます……」
「ええ、ゆっくり休んで。直ぐ側にいるから。ずっと、いるから……」
ジュリアの唇が、サナの額に優しく触れた。