サナはスコップを地面に突き刺すと、そのまま座り込んだ。
「はぁ……はぁ……」
終わった。これで、全て終わらせることができた。サナは立ち上がると、スコップを持って車に乗り込んだ。
『久しぶり。俺、俺だよ、俺。今日、家に行ったんだけど、留守だったからさ……お隣さんに荷物を渡しておいたからさ、受け取っておいて。お隣の、ナカムラさんね』
間違い電話かとも思ったが、サナの部屋の隣はナカムラだ。サナは、一応ナカムラさんを訪ねることにした。
ナカムラさんは人の良さそうな笑顔を浮かべながら、紙袋を手渡してきた。
「私……彼氏は居ないんですけど」
ナカムラさんは一瞬大きく目を見開いて固まった後、吹き出した。
「あらあら、若い子はもう……照れちゃって。いいじゃない、いいじゃない。なかなかイケメンで羨ましいわぁ。それじゃ、渡したからね。おやすみなさい」
そう言って、ナカムラさんはドアを閉めた。
「私に、彼氏は居ないのに……」
サナはクッキーを紙袋に戻すと、そのままゴミ箱に押し込んだ。
お隣さんの物音か、自分の寝息か。とにかく、なにかのせいで目が覚めてしまったのだ。しかし、そのなにかは、何でもないようなことだ。自分にそう言い聞かせながら、サナは目を瞑った。
「起こしちゃった?」
すぐ側で男の声がした。サナは一人暮らしだ。兄弟も居なければ、彼氏もいない。きっと気の所為だ。窓の外は大通りだから、酔っ払いが電話でもしながら歩いていて、その声が響いて、すぐ側で聞こえたように思えただけだ。夜は静かだから、変な響き方をして、そういうふうに聞こえた。それだけだ。
「ねえ、起こしちゃった?」
やはりすぐ側で聞こえる――気がする。なんとなく、土っぽいにおいがする――気がする。全部気のせいなのだ。この部屋にはサナしかいない。誰かの声も気配も、するはずがない。
「……ッ」
布団越しに、サナのお腹の上に手が置かれた。その手は優しく布団を撫でている。
「怒ってる?」
今度は、先ほどよりもずっと近く――耳元で聞こえた。サナはゆっくりと目を閉じた。眠ろう。全て気の所為だ。目なんて閉じてしまえ。万が一にでも“おかしなもの”を見る可能性があるとしたら、それは目を開けているせいだ。
湿った肉厚のなにか――冷たい舌のようなものがサナの耳を舐める。ぞくぞくする。恐怖からか、快感からかなのかはわからない。
「クッキー、どうして捨てちゃったの?」
お腹の上に置かれていた手が、胸をまさぐる。
「お隣さん、いい人だね。俺のこと、イケメンだって」
「……」
そんなはずがない。”彼”がここにいるはずがない。だって彼はサナが――。
「やっぱり聞こえているよね」
これまでよりもずっと大きく、はっきりとした声。サナは思わず目を開いてしまった。暗くて見えないはずの空間に、怒髪天を衝く形相でサナのことを睨みつけていた。
あまりの恐怖に、サナは気を失った。
よかった。夢だったんだ。
そうつぶやいたとき、直ぐ側で「夢じゃないよ」という男の声がした。サナは、ゆっくりと声の聞こえた方向を向いた。そこには、“彼”がいた。
「あ……私……そういうつもりじゃなかったの……あんなことするつもりじゃ……」
「どうしたの? そんなに怯えて。幽霊でも見たような顔しちゃってさ。昨夜もずーっと怒って無視してくるし。流石に俺もイラッとしちゃったよ。わざわざ遠くまで買いに行ったクッキーもゴミ箱にポイ、だもん。俺、鈍いし、いっつもお前がどうして怒っているのかわかってやれないからさ。お前が怒り始めたら、ご機嫌を取るしかねえってのに」
“彼”は、自分が亡くなったことに気がついていないらしかった。サナは、小さな声で「別に怒っていないよ」と言った。その言葉に彼は安心したらしく、嬉しそうに「よかったぁ」と笑った。
よかった、はサナのセリフだ。
「ねえ」
自分が死んだことに気がついていないということは――。
「じゃあ、どうして俺のこと殺したの?」
「……!」
部屋の温度が急激に下がったかのように感じた。背筋を嫌な汗が流れていく。嫌な冷たさで、体の芯が凍りつくようだ。彼の青白い手が伸びてきて、サナをベッドに押し倒した。
彼はサナの意志などお構いなしに、彼女の衣服を脱がせていく。あっという間に下着も脱がされ、サナは一糸纏わぬ姿となった。ちっとも濡れていない割れ目を、彼の冷たい指が撫でる。
「俺たち、上手くいってたよね?」
愛液で濡れていない蜜壺に指を挿れられると、傷口に触れられるような鋭い痛みが走る。
「痛っ……」
「痛い? でも俺はもっともっと痛かったよ。死んじゃうくらい痛かったよ」
サナの目に涙が溜まる。痛みのせいか、恐怖のせいかはわからない。
「駄目だ、全然濡れないや。そうだ、サナが好きだったクンニならどうかな」
抵抗するサナを押さえつけて、肉芽を舐める。彼は、ふるふると震えながら、少しずつ硬くなるそれを逃すことを許さず、舐め続ける。舌で刺激され続けた陰核は赤く充血して、膨張し硬くなっていく。そのすぐ下にある蜜壺からとろとろと愛液が流れる。
「はぁ……ふ、ぁあ」
「やっぱり好きなんだ、これ。気持ちいい?」
サナは首を横に振った。彼がため息を吐いた。
「嘘つき」
「……!」
サナの蜜壺に、彼は勢いよく自身の雄を突き刺した。散々肉芽を刺激されて敏感になっているサナは、その快感に抗うかのように身体を反らせた。そして、その口から発せられたのは、悲鳴ではなく嬌声である。
「あ゛っ! あん……ん……」
それでもサナは抵抗を試みる。しかし、男根に何度も貫かれるうちに、その力もだんだんと弱くなる。
「あん……ぁう……ん……ぉあ……」
こんな風に、彼と何度も愛し合った。身体はそれをよく覚えている。きっとサナの中は彼の形になってしまっているに違いない。
彼は彼でサナのことをよくわかっていて、彼女のいいところを攻め続ける。
「あ゛っ! イクッ……ん、は……」
サナの身体がびくんと跳ねる。その後も、何度も何度も突き上げられ、サナは甘い声を漏らした。どれくらいの時間が経っただろう。彼は小さく唸り声をあげた後、動きを止めた。
駅前で待ち合わせをして合流した後、適当なカフェにでも入ろうということになった。
「何名様でしょうか」
バンノは指で2を表しながら、「二人です」と答えた。店にほとんど客は居なかったが、他よりも狭い二人がけのテーブル席に案内された。店員は、「ご注文が決まりましたら、お呼びください」と、メニューと水をそれぞれ一つずつ、バンノの前に置いた。
「ええと……すみません、お水、もうひとついただけますか」
バンノがそう言うと、店員は「失礼しました」と水を取りに行ってくれた。
「ウルシマさん、静かなお店でよかったですね。ここなら、ゆっくり話ができますよ。とりあえず、何か頼みましょうか。ウルシマさん、先にメニューをどうぞ」
「……」
なんだかぼうっとする。サナはバンノの言葉に応えることもなく、彼女が自分に向けてメニューを差し出すのを、他人事のように見ていた。
「ウルシマさん?」
「……」
「ウルシマさん……大丈夫ですか?」
バンノは心配そうに、サナの肩に触れた。彼女の身体は服越しでもわかるほど冷え切っていた。
「……バンノさん、おかしな話してもいいですか?」
「え……? ええ」
「幽霊って、いろんなことを忘れちゃうらしいんですよ。自分が死んじゃったこととか、自分の名前でさえも……どんどん忘れちゃうんですって。でも、どうしてでしょう。私、今日話そうと思っている”彼”の名前を思い出せないんです」
バンノはゆっくりとメニューをテーブルの上に置いて「そうなんですか。私は聞いたことないなぁ」と言いながら、カバンの中からメモを取り出して何やら書き始めた。サナの言ったことをメモしているらしい。
「バンノさん、教えて下さい」
サナはバンノの腕を掴んだ。驚いたのか、バンノは「わッ……」と小さな悲鳴をあげた。
「私って……生きてますよね?」
バンノの腕を掴むサナの手は、氷のように冷たかった。