そのビルは、昔から“出る”ことで有名だった。どこか特定のフロアや時間帯に“出る”のではない。ビル全体、どこでも、いつでも“出る”のだ。サナも、ほぼ毎日見ている。その上、見えるだけではない。トイレから出たときに「お疲れ様」と言われたり、残業時間に「まだ終わりませんか」と声をかけられたり。狡猾なあの幽霊は常にタイミングを伺い、生者がうっかり応答してしまうのを待っているのだろう。
しかも、幽霊の見た目はスーツを着ている若い男で、普通のサラリーマンにしか見えない。身体が透けているなんてこともないし、人前で突然現れたり、消えたりすることもない。いつも、普通の人間のように歩いて近づいてくるのだ。去る時も同様に。
つまり、普通の人間と見分ける方法はほぼない。対策はと言えば、その幽霊の顔を覚えることだけだった。
一見、無害そうに見えるが、噂によると、うっかりこの幽霊に返事をしてしまった場合、家まで着いてくるようになるという。そして、返事をしてしまった人が正気を失うまで付き纏うらしい。……あくまで噂だろうが、少なくともこのビルには誰にでもくっきりと見える幽霊が出るのだから困ったものだ。けれど、ビルは駅からも近く、外装も内装も清潔感があり、おしゃれだ。幽霊が出ることを除けば、それ以外の不満は全くと言っていいほどなかった。
◆ ◆ ◆
朝、サナが給湯室でカップにお湯を注いでいるときのことだった。ふいに後ろから、声をかけられた。
「電子レンジ、使いたいんですけど」
狭い給湯室であれば、よくあることだ。サナは一歩横にずれながら返事をした。
「あ、ごめんなさい。今退きますね……」
「ありがとうございます」
振り返って、サナはどきりとした。人のよさそうな笑顔を浮かべたあの幽霊が立っていたのだ。返事をしてしまった。自分はどうなってしまうのだろう……呆然とするサナをよそに、幽霊は普通に電子レンジを使用して、給湯室を出て行った。サナはほっと胸を撫でおろした。
◆ ◆ ◆
昼休み、サナはデスクでお弁当を広げながら、向かいに座る同僚のアツコに今朝のことを話した。
「いやぁ……うっかりあの幽霊に返事しちゃってさ。でも、何にもなかったんだよね。いつも通り、どこかに行っちゃった」
アツコは真剣な面持ちで、「何にもなかったかどうかは……まだわからないんじゃない?」と言った。
「ちょっと……! 怖いこと言わないでよ~」
「だって、聞いたことないもん。あの幽霊に返事しちゃった人なんて。確かによく見かけるけど、声をかけてくることはないし……」
アツコの言葉にサナは目を見開いた。
「へ……? アツコ、声をかけられたことないの? あいつ……二日に一回は声をかけてくるけど……だから、とうとう今朝、うっかり答えちゃったわけだし……」
今度はアツコが驚きを隠せない様子で「それってたぶん……いや、そうだね。ごめん、ごめん。きっと大丈夫だよ。何もないと思う!」とだけ言い、そのままどこかへ行ってしまった。
◆ ◆ ◆
昼休みも終わり、午後の仕事が始まった。昼食後のこの時間帯は、どうしても眠くなってしまう。あくびを噛み殺しながら、サナはキーボードを叩いていた。
「お疲れ様です」
背後から声をかけられ、振り返るとそこには例の幽霊が立っていた。やはり、普通の人間にしか見えない。この幽霊のことを知らない人が見たら、サナの同僚だと思うことだろう。
サナは彼を無視して、再びモニタに向き直った。気のせいかもしれないが、幽霊の行動が大胆になっているような気がした。少なくとも、サナのデスクまでわざわざ来て、声をかけてきたのは初めてだ。やはり、これに返事をしてはいけなかったのだろう。毎日見かけるせいで、この幽霊の存在にすっかり慣れてしまっていたが、普通に考えればこの職場は異常だ。とにかく、幽霊のことを考えないように、気にしないようにしながら、サナは仕事に集中すると決めた。
背中のほうで衣擦れの音がして、幽霊が屈む気配がする。何をするつもりなのか気にはなるが、もう言葉をかけたくない。サナの座る椅子がわずかに後ろに引かれ、幽霊がデスクの下に潜っていく。
(な、なに……?)
幽霊は、サナの膝をストッキング越しに撫でている。
(まさか……)
サナの言葉を無理やり引き出そうとしているのだろう。ぐっと力を込めて、しっかりと脚を閉じたまま、彼女はデスクの下を意識しすぎないよう、再び仕事に集中しようとする。だが……ストッキングの上から、冷たく湿った何かがサナの膝に触れると、それも難しくなってしまった。幽霊に「やめろ」と声をかけるべきか、周囲の人間に助けを求めるべきか……後者の方が賢明に思われたが、顔を上げて初めて気が付いた。いつの間にか、夜になっている。サナ以外の社員の姿はなく、自席の周辺以外は照明が消されている。
(この幽霊……思ったより、ずっとやばいんじゃ……)
机の下を覗くと、幽霊と目が合った。彼は笑っていた。
「い、嫌……ッ、誰か……」
サナは立ち上がり、オフィスから逃げ出そうとしたが、幽霊に机上へと押し倒されてしまった。幽霊はサナのブラウスのボタンを外すと、ブラの上から柔らかな膨らみを揉みしだく。その手の冷たさから、見た目は生者と変わらないが、やはりこの男は幽霊なのだと思い知らされる。
「や、やめてってば……んぐっ!」
サナの拒絶の言葉は、幽霊の唇によって塞がれてしまった。手と同様、唇と舌も冷たい。冷え切った舌が、サナの熱を奪うように口内で暴れる。彼女の口内を犯しながら、幽霊は乱暴にサナのスカートを捲し上げ、邪魔なストッキングを割き、下着をずらす。そして、やや濡れていた秘所に、己の肉棒を擦りつけた。先端からは、すでに透明な液体がとろとろと流れ出ている。それを秘所に塗りつけるように、擦り続ける。
「やだ……絶対、だめ……っ」
サナは幽霊を突き飛ばそうとしたが、彼はびくともしない。腰をぐっと前に押し出すようにして、ゆっくりと確実に肉棒をサナの中へと沈めていく。カリ首がずぶっと押し込まれてしまうと、あとは根元までスムーズに挿入されてしまった。幽霊はサナの両の太ももを抱き寄せるようにすると、腰を打ち付け始めた。
朝起きたときには、こんな風にオフィスで、机の上で……まさか幽霊に犯されてしまうなどとは、夢にも思っていなかった。サナは唇を噛み、快感に耐える。
幽霊は力強く腰を動かし続け、普段、サナ自身ですら触れられない場所を、肉棒で穿つ。彼はサナの柔らかな肉の感覚に身震いしながら、貫き続ける。
(……っ、イくなら、さっさとイってよ……! そうじゃないと……)
サナも限界だった。だが、幽霊なんかに犯されて、絶頂してしまうのだけは避けたかった。そのとき、幽霊の動きがぴたりと止まった。幽霊はサナの太ももを抱えたまま、デスクに膝をかけ、そのまま机の上によじ登った。そして、垂直に打ち付けるように腰を動かし始めた。先ほどよりも速く、奥深くまで突かれる。
「んッ!? ぁああああッ!!」
サナの身体がびくんと跳ね、蜜壺が肉棒を絡めとるように締め上げる。頭が真っ白になり、何も考えられなくなってしまったサナを幽霊は突き続けた。
「も、もうだめぇ……ぁあっ、あ……許し――」
どれほど突かれ続けたのかわからない。幽霊がようやくサナの中に冷えた白濁を吐き出す頃、彼女は快感に負け、舌をしまうことすらできなくなった半開きの口から、だらしなく唾液を垂らしていた。
◆ ◆ ◆
絶頂の余韻が消えるころ、サナは身なりを整えて、終電に何とか乗り込めた。シャワーを浴びてから眠りにつき、朝になると会社へ休みの連絡を入れた。
もうあのビルには行きたくない。明日も、その次の日も休みたい。いや……転職を考えるべきかもしれない。気分転換にテレビを点けてみるが、どうも落ち着かない。
そんなとき、インターホンが鳴った。
「ウルシマさん、お届け物です」
何か頼んでいただろうか。疑問に思いながらも、サナは「はーい、今、行きます」と答えた。そして、ドアスコープを覗いて、血の気が引いていくのを感じた。ドアの向こうには、あの幽霊の男が立っていた。
「ありがとうございます……また返事をしてくれましたね」
サナはその場にへたり込んだ。ドアノブがゆっくりと下がるのを見ながら、何度も何度も「どうして私なの」と呟いていた。
