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三月ウサギ#01

 アリスによってサナが連れてこられたのは、スイーツの実る不思議な樹木が乱立する森だった。ショートケーキやドーナツなどが木に実っている。そんな不思議な光景に目を奪われているうちに、アリスとはぐれてしまった。

「アリス!」

 返事はない。もう遠くに行ってしまったのだろうか。不安になってきた。

「わ、こんにちは。見ない顔だね」

 声のする方に目を向ける。そこには、茶髪の男が立っていた。頭には茶色の兎耳……。

(どうしよう……すっっっっごく変な人かも)

「もしかして、迷子?」

 サナより年下に見えるその男は、サナの腰をさり気なく抱く。

(わわわわわ……)

「珍しいなぁ。でも、どうして角砂糖の森に来たの? それにしても可愛いね。ハートの城で働いているの? ティーパーティーに行く所だったとか?」

「ハートの城? ティーパーティー? なんのことですか?」

 男は目を丸くした。

「あれ、知らない? ハートの城は……そのまんま。お城だよ。ティーパーティーは、この森の側にある街の名前だよ。城下町には劣るけど、かなり大きい街。どっちも知らないなんて、不思議な子だね」

「ここって……なんていう国ですか? 朝、目が覚めたら森の中にいて――」

 男はにやりと笑い「そっかぁ。そういうことかぁ。ふうん、面白いな。この国の名前は悪いけど、教えてあげなーい。下手なことを言って、天罰を食らうのは嫌だからね」と言った。

 サナの頭には大量の疑問符が浮かんだ。

「考えても仕方がないよ。ほら、僕の仲間に紹介してあげる。おいで」

 男はサナの返事を聞かずに、そのまま歩き出した。腰を抱かれたままのサナも強制的に歩き出すことになってしまった。

 男にどんどん森の奥へ連れて行かれる。不安になったサナは「あの! お名前を聞いていませんでしたよね。それに、どこへ行くんですか?」と男の袖を引っ張った。そこでようやく、男は歩みを止めた。

「言わなかったっけ。僕の仲間に紹介してあげようと思っている所だよ。それとも何? 僕と二人きりで、なにかしたい……とか?」

 男はサナの耳を舐めながら「それならそうと早く言ってくれないと」と囁いた。

「違います!」

 サナは飛び跳ねるように男から離れた。

「ははは。ちょっとからかっただけだよ。僕の名前はカイル」

「……私はサナです」

「さ、自己紹介は終わったね。早く行こう。僕の仲間は変わったやつが多いけど、結構面倒見の良い連中だからさ、君の力になってくれるよ」

「はい……」

 カイルは再び歩き出した。サナは彼を警戒するように、カイルの少し後ろを歩いた。

 カイルに連れてこられたのは、森の中の少し開けた場所だった。大きな長テーブルがあり、その上にはたくさんのスイーツとティーセットが何セットも置かれていた。どうやらお茶会をしているらしいが、テーブルについているのはおかしな二人だった。一人はシルクハットを被った男で、真顔でお茶をがぶがぶ飲んだり、角砂糖を何粒も頬張ったりしている。もう一人は金髪の男で、テーブルに突っ伏して眠っている。

「そいつは誰だ、カイル」

 角砂糖を齧りながら、シルクハットの男がカイルに問いかけた。

「この子は迷子だよ。本物の迷子。可哀想にね」

 シルクハットの男は一瞬目を大きく見開いたが、すぐに真顔に戻り、持っていた角砂糖を皿にそっと置いた。

「そうか……それは気の毒に。俺はハッター。ただハッターと呼んでくれ。ぜひお前の力になりたい。まずは名前を教えてくれるか?」

「私は――」

 カイルが名乗ろうとしたサナの言葉を遮って「この子はウサギちゃんだって」と笑いながら言った。

「ウサギチャン? 随分変わった名前だな。いや……迷子だから変な名前なのか?」

 ハッターが真顔でそんなことを言うものだから、カイルは腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。

「ははは、あー、おかしい。冗談だよ、冗談。サナちゃんだってさ」

「……」

 からかわれたハッターは無言でカイルを睨みつける。

「……サナ、カイルはこういうやつだ。昔からな。悪いやつではないが、ふざけたやつだから、あまりこいつの言うことを真に受けるなよ。それから、もう少し離れた方がいい。手を出されるぞ」

 ハッターの助言に従い、サナは一歩カイルから離れた。先程もさり気なく耳を舐められた。ハッターの言っていることは嘘ではないだろう。

「酷いよ。僕だって、望んで女好きになったわけじゃないのにさ。ハッターは適当なことを言っているんだ。ウサギちゃん、今日泊まるところないんだろ? 僕の家においでよ」

「えっと……」

 困惑するサナに、ハッターが助け舟を出した。

「サナ、隣に座れ。このケーキ、美味いぞ」

「は、はい!」

 サナは慌ててハッターの隣に座る。カイルは特に気にする様子もなく、離れた席に座り、紅茶を飲み始めた。

 ハッターがサナの席に置かれたティーカップに紅茶を注いでくれた。

「ありがとうございます」

「カイルに聞いたかもしれないが、俺たちはお茶飲み仲間だ。この世界はひねくれた神に創られたせいで、あまりにも危険な場所なんだ。そんな世界で安息の地を作ることが目的だ」

「……特に聞いていないと思います」

 ハッターはため息を吐くと、一粒、角砂糖を口の中に放り込んだ。

「……そうか。とりあえず、ハートの城とペリング公爵邸に近づかなければ大丈夫だ。ハートの城は悪趣味な真っ赤なハートの装飾ばかりだから、一目でわかる。ペリング公爵邸は……そうだな、普通の屋敷よりも天井がずっと高い。やけに縦長の屋敷がそれだ」

(アリスにハートの城、お茶会……公爵邸はわからないけど、これって……)

 サナの頭に、昔読んだ児童向け小説のタイトルが浮かんだ。

(どうしよう……とんでもないことになってるかも。全部、夢だよね……)

 サナは一口、紅茶を啜った。温かさが、心を落ち着けてくれる。

(冷静にならなくちゃ。あの物語、最後はどうなったんだっけ。たしか、夢オチだったような気がする。いや、違ったかも。うーん……)

 思い出せない。読んだのは、もう十年くらい前のことだ。

「サナ、大丈夫か?」

 ハッターが心配そうにサナを見ている。

「は、はい。えっと……色々、不安で。考えても仕方がないとはわかっているんですけど」

「案ずるな。必ず、お前を元の世界に返してやる」

 ハッターの言葉は、サナの不安な気持ちを少しだけ和らげてくれた。

(おかしな世界に来ちゃったけど、助けてくれる人がいてよかった)